家隆塚(かりゅうづか)

家隆塚の写真
歌碑の写真

平安時代から鎌倉時代に活躍した歌人、藤原家隆(ふじわらのいえたか)の塚。
権中納言藤原光隆の子で、紫式部の遠縁に当たるとか。
藤原定家らとともに新古今和歌集の選者の1人として知られています。
小倉百人一首の98番歌。
晩年、死期を悟り、日想観を体得するべくこの地へ移り夕陽庵を結びました。
この地より見える、ちぬの海(大阪湾)に沈む夕日を好み、
「契りあれば難波の里にやどり来て浪の入日を拝みつるかな」と詠みました。
このことが、この地の「夕陽丘」という地名の由来とされています
現在、大阪湾は遠く、あいだに高層の建物が立ち並んでいるため、海に沈む夕陽を見ることは難しくなっていますが、当時は海が近くまで迫っていたということで、海に沈む美しい夕陽を眺めることが出来たのでしょう。

       
       
 

 

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